想いを形に。

忘れないうちに形にしよう。色褪せないうちに花咲かせよう。

青の一番星と花簪について

※あくまで個人の感想です。ご了承ください。


青の一番星はCINDERELLA MASTERシリーズ第8弾の曲の一つ。
作詞は夕野ヨシミさん、作曲編曲はARMさん
そして花簪も同じです。

シンデレラの中でも関係性が深いとされる小早川紗枝塩見周子について
自分の中で少し見えてきたものがある気がすると思ったので今回書かせて頂きました。
そして何故、今回2曲かと言うと「この青の一番星という曲は花簪なしには語れない曲」といえるからです。
もちろん青の一番星単体でも見えてくるものがありますが、花簪と組み合わせることでまた見えてくる
物がある。そう思っています。
また、個人的にはCINDERELLA MASTERシリーズはあくまでそのアイドルの"デビュー曲"だと思っています。そのためシンデレラガールである塩見周子はこの限りではないです。その点はお気をつけください。
以下、考察と感想です。




まずはじめに全体的な特徴として、この曲は全てが花簪の対極にあるように感じました。言うなれば「陰と陽」です。もちろん花簪が陽、青の一番星は陰です。なので青の一番星の舞台は夜です。
わかりやすいところで言えば「花簪」の歌詞から読み取れる"春夏秋冬"。
「青の一番星」では"花鳥風月"で対にしているように思います。
そして曲全体のイメージからしても「花簪」は"時の流れに身を任せゆこう"というイメージを彷彿とさせますが、
「青の一番星」は"自分のペースで気楽に流れゆこう"というイメージを彷彿とさせます。
更に曲調も「花簪」ではゆったり目なものだが、「青の一番星」ではアップテンポな曲調となっています。
これが青の一番星を花簪と合わせて書かなければいけない理由の一つですね。

それでは続いて歌詞を掘り下げてみたいと思います。
初めの部分、「声を上げることもなく~空に輝いた」
この部分は言わずもがな一番星を意味しています。そんなことはわかりますね。

続いて「あの星のそばにある あこがれの場所」という歌詞。
"あこがれの場所"というのはトップアイドルの事だと思います。
塩見周子は軽いノリで済ます子ですが、内面はすごく真面目できちんと考えて行動できる子なので軽い気持ちでアイドルになろうとは思わなかったはずです(その姿は中々見せてくれませんが)。「あの星のそばににある」については後述。

周子からしても地図のまだ外側でまだ誰も見たことのない遠く広い世界ですが、歩き続けてればきっとたどり着ける。
本当に?どうしてそう思うの?と聞きたくなる部分はそれを聞いた誰しも思うことです。たどり着ける保証なんてないだから。
でもそんなこと聞かれてもあたしにもわからないし、それじゃダメかな?気楽に行こうよ。と返されます。
そういった所にも周子らしさを感じることが出来ますね。

そして2番に入ります。
アイドルになる前から周子は楽しいことを常に探してあちらこちらへとフラフラしていたんじゃないかと思います。猫みたいですね。自分の赴くままに進む。
そこで見つけた特別じゃない日も空は遥か青、自分を形成する一部なのだと言っています。
しかし、Pに出会いアイドルとして進んだ先に用意されたのは光る舞台。せっかく用意してくれたならもっと前に出ないとちょっともったいないよね。と心の中にある熱いものが周子を動かします。
ただし、野望みたいな大それた暑苦しいものはあたしには似合わない。それくらいわかってるでしょ?のんびりいこうよ。とあくまでマイペースに道を進むことは忘れないのが周子の魅力です。


サビについてですが、これは全てに意味があります。
花鳥風月(夜)に大別した後、その中で歌詞を二部構成に分けます。
前半は"アイドル"塩見周子。後半は"一人の女の子"塩見周子です。(わかりづらいですね)
ただし、夜はその限りではありません。
順に解説していきます。
◆風
風=Pです。
周子はPを信頼して背中をあずけてアイドルとして走り出します。ですが決まった形ではなく自由に走ることを忘れない。
しかし、もちろん悩みにはぶつかります。でも"一人の女の子"塩見周子の考えは悩みすぎてもしょうがないからそんな堅苦しいものは脱ぎ捨てちゃえばいいじゃんって考えます。

◆花
花=小早川紗枝です。
何かと縁深く、ユニットも組むことがあるあの二人が重要なファクターです。
花と遊び、とはいいますがあくまで仕事のことを言っているように思います。遊びと思えるほど小早川紗枝に心任せ、微笑み、楽しんで仕事しているのではないかと思います。
でもあこがれの場所として抱いた夢に出会うのはあくまで自分のペースで。その日まで流れゆこう。と言っているように思えます。

◆月
月=Pです。二回目の登場です。
Pが照らして教えてくれる道を進むことであこがれの場所にたどり着く事ができるだろうと考えていると思います。
が、それだけでは面白くないので面白いのはこっちだよとあちらこちらへと回り道をします。無理はしません。自然体。周子はそれを良しとしています。

◆鳥
鳥=自分(塩見周子)です。
アイドル塩見周子としても無理はしません。そんなの自分らしくないでしょ?と言われているように感じます。
本心としては自分の好きの答えが見つかればなんとかなるよと言っています。

◆夜
夜=他の大勢のアイドル達です。
ここに置いての「花」は小早川紗枝や別のアイドルの事を表しているかもしれません。
仕事を自分のペースでこなし、トップアイドルを目指して進む中でも、突飛しようとせず、他の大勢に紛れて背伸びしたり気取らずに一緒に歌えばいいんだよ。という周子らしさがここでも出ているのかなと。


そして前述していた「あの星のそばにある」についてです。
タイトルにある「青の一番星」ですが、まず一番星と言うのは正確には決まっていませんが、一般的には金星のことを差していますので、今回は金星としています。
しかし金星の光は青くないですよね?という事は「青=自分」を表していると考えます。
つまり「青の一番星」の一番星は"ナンバーワン"ではなく自分自身を示す"オンリーワン"だと解釈しました。
その為、「あの星(青の一番星)の側にある あこがれの場所」がトップアイドルという場所なのだと思います。

そして、「この夜空(ライブ会場)の思い出をあたし色(青)に染めていく一番星(自分自身) あたしらしく あたらしくなれ」
自分が自分らしく輝くことでその夜空はあたし色に新たに染まっていきます。




全体的に見ても掘り下げても常に周子らしさを感じられる曲になっていると思います。
そして、この一曲だけを掘り下げてもとてもいいものが感じられますが、背景に花簪という存在がいるという事実がこの曲をさらなる高みへと押し上げている。そんな気がします。僕は羽衣小町が大好きです。
今回花簪に関してはあえて深く掘り下げていません。更に長くなります…。でもこの曲を考察していくに当たって掘り下げた部分はありますので、要望があれば書こうと思います。(そもそもこれを読んでくれる人がどれだけいるか。ですが…)
シンデレラ3rdライブでルゥティンさんが初めて見せてくれたあの「青の一番星」はご自身が初めて立つ舞台というのもあり、もしかすると満足行く結果ではなかったかもしれません。しかし、初めてでもあれだけのクオリティで見ているものを魅了させたパフォーマンスがもう一度、もしかすると更に進化した形で見られるかもしれない。そう思うと胸が高鳴りますし、考察をしたのもあり聞くのがより楽しみになりました。

かなり長くなりましたが、もしこれを読んで青の一番星を生で聞ける機会があることを少しでも楽しみにしてくれたらそれ以上の喜びはありません。ルゥティンさんはその期待に答えてくれる実力を持っていると思っています。



貴方の中の一番星がその時だけでも青に染まりますように。