想いを形に。

忘れないうちに形にしよう。色褪せないうちに花咲かせよう。

Radio HappyがCINDERELLA MASTERである重要性

※個人の感想です。それを承知した上でお読みください。

 

 

 

はじめに

 

 

私は今まで大槻唯の曲「Radio Happy」を認めていませんでした。

 

 

理由は、本来CINDERELLA MASTERシリーズの曲はアイドルのデビュー曲である。というコンセプトから外れていると感じたから。

 

 

デビュー曲というにはあまりにも慣れすぎてないか…?という思いが心の中でずっと引っかかっていたせいか、発売してから1,2回しか聞く事が出来ませんでした。

 

しかし、4thライブという大きな節目で認めないままこの曲に臨むのは如何なものか、一度真正面から向き合ってみよう。と心に決めたことがこのお話の始まりです。

 

その中で得た答えについて書いていきたいと思います。

 

 

大槻唯について

 

まず最初に『大槻唯』という名前を聞いて思い浮かぶイメージはなんでしょう?

 

多くの方は「ギャル」や「誰とでも仲良くなれる子」と言ったイメージを思い浮かべると思うのですが、おそらくそのイメージは間違っていないと思ってます。

 

結論から言うなら私の考える大槻唯は、

 

他人がいて初めて成立する「”個”を持たない存在」

 

だと思っています。

 

この子の魅力は一人では不完全で、”誰か”といることで真価が発揮されるのです。

 

大槻唯の行動の原点には常に「楽しい」という感情が存在しています。

 

また、この「楽しい」は「他人を楽しませることで生まれる楽しさ」と言い換える事ができます。

 

つまり『自分が何かをすることで周りの人が楽しんでくれる。だから自分も楽しい!』と考えているんですね。

幸いその「ギャル」という見た目も相まって軽いノリが通じやすい傾向はあると言えるでしょう。

 

そこが「誰とでも仲良くなる」イメージに相乗効果を生み出しているのではないかと考えています。

 

 

Radio Happyについて

 

作詞はMC TCさん、作曲・編曲はTaku Inoueさんが担当されています。

 

ちなみに、これはどちらも井上拓さんです。

もしかしたらMC TCさんが井上さんの別名義ということを知らない方も多いのではないでしょうか…?

 

井上拓さんといえばアイマスではおなじみの方。安心出来る人選だと分かってはいたものの、冒頭で言っていた思いもあり初めは少しだけ肩透かしを食らったような感覚に陥っていました。

 

結果的にその評価は覆ることになるのですが…。

 

全体的な曲調は一貫してラジオを基調としたノリのいいナンバーになっています。

その中で歌われている歌詞には、どんな意味が含まれているのでしょうか。

 

 

この曲は、実際歌われている通り

 

君が眠い朝や憂鬱な夜、悲しい時のような心がマイナスに向いてしまった時、

「いつでも唯を呼んで欲しい」

「いつも側にいるからどんな時でも君を”楽しい”世界へ連れて行ってあげるよ!」

といった内容。

 

不幸せじゃなくてもいい、どんな状態でも呼んでくれれば君を楽しい世界に連れて行くよ!と言ってくれています。

 

そんな思いを「大好きな君に届けたい!」と最後に括っています。

 

 

では「君」とは誰のことを言っているのでしょう?

 

それは「自分以外の全国にいる人間」のことを指しています。

 

そこでこの曲がラジオをモチーフであることが重要になってきます。

 

ラジオは全国の人達が誰でも聞けて、チャンネルを回せばいつでも隣にいて”楽しい”世界に連れて行ってくれる大槻唯の姿がそこにあります。

 

 

Radio HappyがCINDERELLA MASTERである重要性

 

このような曲がCINDERELLA MASTERという名のデビュー曲として選ばれた理由はただ1つ。

 

『この曲自体が大槻唯と呼べるもの』だからです。

 

大槻唯らしさを表したキャラソン、ではなく大槻唯そのものであると考えています。

 

この曲は唯にとって『大槻唯という人間はこんな人間です。よろしくお願いします!』と自己紹介している曲。

 

そんな曲が2曲目3曲目であっていいはずがありません。

これは間違いなく大槻唯のデビュー曲だと確信しました。

 

ただし、この曲を大槻唯とするにあたって要求される表現力と技術力のハードルは計り知れないと思います。

 

それを見事に表現し、1つの形とした井上拓さんの表現力、技術力には頭があがりません。

素敵なデビュー曲をありがとうございます。

 

 

おわりに

 

Radio Happyという曲はクラブなどで流れれば皆がノることが出来る軽快なナンバーになっています。平たく言えば頭空っぽでも楽しめる曲です。

 

そういった楽しみ方ももちろん一つの形としてあっていいと思います。実際僕も楽しいと思っています。

 

しかし、ふと気付いた時に『この曲には大槻唯が確かに存在しているんだよ。』

という思いを感じて貰えたら嬉しいです。

 

 

 

 

あなたの心にもRadio Happyが流れますように。

青の一番星と花簪について

※あくまで個人の感想です。ご了承ください。


青の一番星はCINDERELLA MASTERシリーズ第8弾の曲の一つ。
作詞は夕野ヨシミさん、作曲編曲はARMさん
そして花簪も同じです。

シンデレラの中でも関係性が深いとされる小早川紗枝塩見周子について
自分の中で少し見えてきたものがある気がすると思ったので今回書かせて頂きました。
そして何故、今回2曲かと言うと「この青の一番星という曲は花簪なしには語れない曲」といえるからです。
もちろん青の一番星単体でも見えてくるものがありますが、花簪と組み合わせることでまた見えてくる
物がある。そう思っています。
また、個人的にはCINDERELLA MASTERシリーズはあくまでそのアイドルの"デビュー曲"だと思っています。そのためシンデレラガールである塩見周子はこの限りではないです。その点はお気をつけください。
以下、考察と感想です。




まずはじめに全体的な特徴として、この曲は全てが花簪の対極にあるように感じました。言うなれば「陰と陽」です。もちろん花簪が陽、青の一番星は陰です。なので青の一番星の舞台は夜です。
わかりやすいところで言えば「花簪」の歌詞から読み取れる"春夏秋冬"。
「青の一番星」では"花鳥風月"で対にしているように思います。
そして曲全体のイメージからしても「花簪」は"時の流れに身を任せゆこう"というイメージを彷彿とさせますが、
「青の一番星」は"自分のペースで気楽に流れゆこう"というイメージを彷彿とさせます。
更に曲調も「花簪」ではゆったり目なものだが、「青の一番星」ではアップテンポな曲調となっています。
これが青の一番星を花簪と合わせて書かなければいけない理由の一つですね。

それでは続いて歌詞を掘り下げてみたいと思います。
初めの部分、「声を上げることもなく~空に輝いた」
この部分は言わずもがな一番星を意味しています。そんなことはわかりますね。

続いて「あの星のそばにある あこがれの場所」という歌詞。
"あこがれの場所"というのはトップアイドルの事だと思います。
塩見周子は軽いノリで済ます子ですが、内面はすごく真面目できちんと考えて行動できる子なので軽い気持ちでアイドルになろうとは思わなかったはずです(その姿は中々見せてくれませんが)。「あの星のそばににある」については後述。

周子からしても地図のまだ外側でまだ誰も見たことのない遠く広い世界ですが、歩き続けてればきっとたどり着ける。
本当に?どうしてそう思うの?と聞きたくなる部分はそれを聞いた誰しも思うことです。たどり着ける保証なんてないだから。
でもそんなこと聞かれてもあたしにもわからないし、それじゃダメかな?気楽に行こうよ。と返されます。
そういった所にも周子らしさを感じることが出来ますね。

そして2番に入ります。
アイドルになる前から周子は楽しいことを常に探してあちらこちらへとフラフラしていたんじゃないかと思います。猫みたいですね。自分の赴くままに進む。
そこで見つけた特別じゃない日も空は遥か青、自分を形成する一部なのだと言っています。
しかし、Pに出会いアイドルとして進んだ先に用意されたのは光る舞台。せっかく用意してくれたならもっと前に出ないとちょっともったいないよね。と心の中にある熱いものが周子を動かします。
ただし、野望みたいな大それた暑苦しいものはあたしには似合わない。それくらいわかってるでしょ?のんびりいこうよ。とあくまでマイペースに道を進むことは忘れないのが周子の魅力です。


サビについてですが、これは全てに意味があります。
花鳥風月(夜)に大別した後、その中で歌詞を二部構成に分けます。
前半は"アイドル"塩見周子。後半は"一人の女の子"塩見周子です。(わかりづらいですね)
ただし、夜はその限りではありません。
順に解説していきます。
◆風
風=Pです。
周子はPを信頼して背中をあずけてアイドルとして走り出します。ですが決まった形ではなく自由に走ることを忘れない。
しかし、もちろん悩みにはぶつかります。でも"一人の女の子"塩見周子の考えは悩みすぎてもしょうがないからそんな堅苦しいものは脱ぎ捨てちゃえばいいじゃんって考えます。

◆花
花=小早川紗枝です。
何かと縁深く、ユニットも組むことがあるあの二人が重要なファクターです。
花と遊び、とはいいますがあくまで仕事のことを言っているように思います。遊びと思えるほど小早川紗枝に心任せ、微笑み、楽しんで仕事しているのではないかと思います。
でもあこがれの場所として抱いた夢に出会うのはあくまで自分のペースで。その日まで流れゆこう。と言っているように思えます。

◆月
月=Pです。二回目の登場です。
Pが照らして教えてくれる道を進むことであこがれの場所にたどり着く事ができるだろうと考えていると思います。
が、それだけでは面白くないので面白いのはこっちだよとあちらこちらへと回り道をします。無理はしません。自然体。周子はそれを良しとしています。

◆鳥
鳥=自分(塩見周子)です。
アイドル塩見周子としても無理はしません。そんなの自分らしくないでしょ?と言われているように感じます。
本心としては自分の好きの答えが見つかればなんとかなるよと言っています。

◆夜
夜=他の大勢のアイドル達です。
ここに置いての「花」は小早川紗枝や別のアイドルの事を表しているかもしれません。
仕事を自分のペースでこなし、トップアイドルを目指して進む中でも、突飛しようとせず、他の大勢に紛れて背伸びしたり気取らずに一緒に歌えばいいんだよ。という周子らしさがここでも出ているのかなと。


そして前述していた「あの星のそばにある」についてです。
タイトルにある「青の一番星」ですが、まず一番星と言うのは正確には決まっていませんが、一般的には金星のことを差していますので、今回は金星としています。
しかし金星の光は青くないですよね?という事は「青=自分」を表していると考えます。
つまり「青の一番星」の一番星は"ナンバーワン"ではなく自分自身を示す"オンリーワン"だと解釈しました。
その為、「あの星(青の一番星)の側にある あこがれの場所」がトップアイドルという場所なのだと思います。

そして、「この夜空(ライブ会場)の思い出をあたし色(青)に染めていく一番星(自分自身) あたしらしく あたらしくなれ」
自分が自分らしく輝くことでその夜空はあたし色に新たに染まっていきます。




全体的に見ても掘り下げても常に周子らしさを感じられる曲になっていると思います。
そして、この一曲だけを掘り下げてもとてもいいものが感じられますが、背景に花簪という存在がいるという事実がこの曲をさらなる高みへと押し上げている。そんな気がします。僕は羽衣小町が大好きです。
今回花簪に関してはあえて深く掘り下げていません。更に長くなります…。でもこの曲を考察していくに当たって掘り下げた部分はありますので、要望があれば書こうと思います。(そもそもこれを読んでくれる人がどれだけいるか。ですが…)
シンデレラ3rdライブでルゥティンさんが初めて見せてくれたあの「青の一番星」はご自身が初めて立つ舞台というのもあり、もしかすると満足行く結果ではなかったかもしれません。しかし、初めてでもあれだけのクオリティで見ているものを魅了させたパフォーマンスがもう一度、もしかすると更に進化した形で見られるかもしれない。そう思うと胸が高鳴りますし、考察をしたのもあり聞くのがより楽しみになりました。

かなり長くなりましたが、もしこれを読んで青の一番星を生で聞ける機会があることを少しでも楽しみにしてくれたらそれ以上の喜びはありません。ルゥティンさんはその期待に答えてくれる実力を持っていると思っています。



貴方の中の一番星がその時だけでも青に染まりますように。

SparklingGirlの感想と考察

※個人の感想ですのでイメージの差異があります。

今回のSparkringGirlは多田李衣菜ちゃんのTwilightSkyに続く2曲目のソロ曲。
個人的にはやはり前曲、TwilightSkyの強さが尾を引いていないかすごく心配でした。
聞いていてまず一つ思ったこと。うまく言葉に表せないですが、やはり青木瑠璃子という声優は多田李衣菜のことをわかっているなという印象を強く感じました。
正直な所を言ってしまえばTwilightSkyは完成されていました。多田李衣菜のデビュー曲はこれです!と言われて納得出来るものを見せられていました。その中で次に出てきた曲がこのSparklingGirlです。なんてものを持ってきたんだって思いました。語彙力がないですね。

さて、SparklingGirlの歌詞についてですが、一貫して言えることはすごく"ロック"であることだと個人的に思っています。
最初の歌詞に、ある屋上から見上げたフェンス越しの青空に無限のあこがれを描く多田李衣菜は、お気に入りのヘッドフォンをつけて未来を想像します。この時、おそらく本人の大好きな曲調のロックを聞いて、隠し切れないほど高鳴るキモチを抱いていたんだと思います。目なんかキラッキラなんだろうなーと。それを表現しているのが次のBメロ(響いた鼓動の音…)~サビの終わりまで描かれている気がします。


しかし2番の最初のメロ部分、どんな服を着ていても私は私だと今なら笑って言える。自分の思い描いたロックとは違うが、それも多田李衣菜の目指すロックである。と本人はわかったんでしょうね。つまり目指す場所が"分かった"んです。この子は。だから尖ったっていいじゃないか。そんな簡単な感情じゃない。特別な気持ちなんだ!という思いが2番の歌詞から伝わってきます。ここにはTwilightSkyにはなかった部分があると思っています。

TwilightSkyは自分の信じるロックを貫いて一人でもいいからこの思いが伝わって欲しい!と投げかけていたように感じました。ある意味背伸びをしているようにも見えます。
対してSparklingGirlは、TwilightSkyで見せた"曲に引っ張られる多田李衣菜"ではなく、憧れるロックはあるが、それも一つの形。自分の直感を信じてこの曲を歌う!という"多田李衣菜が引っ張ってきた曲"がSparklingGirlにはあるのかなと感じます。
ただし、初めからSparklingGirlにはたどり着かなかったでしょう。TwilightSkyがあったからこそSparklingGirlに辿りつけたんだと思っています。

その答えがラスサビなのかなと思っています。1番や2番の歌詞とはまた意味も重みも違うものが伝わってきます。
言うなれば、
1番はロックに憧れて歌ったリーナ
2番は"答え"を見つけたから突き進むぞと伝えるために歌った李衣菜
ラスサビは自分の"答え"を歌ったりーな
なのかなと思っています。
ラスサビの歌詞には李衣菜の思い描く"ロックなアイドル"を表現しているように感じます。

そしてこのメロディライン。タイトルのSparklingGirlにふさわしい炭酸が効いたような爽快感のある曲調になっています。
炭酸と言うのは閉じ込めておかないと時間が経つとすぐになくなってしまいます。この多田李衣菜を象徴したSparklingGirlという曲の歌詞には"今"じゃないと輝けないんだ!"今"進まなきゃいけないんだ!と言った、まさに"答え"にたどり着いた多田李衣菜の"今"を切り取ったメッセージも含まれているように感じます。


曲自体大好きで、直接ライブで聞けることを楽しみにしています。この曲はTwilightSkyと同じように回数を重ねる毎に成長をしていくような予感をしているので一度も逃したくないという気持ちすらあります。
それと同時にTwilightSkyを引き合いに出しすぎてますが、あの曲は比較に出して負けないくらいの強さを持っています。今は勝てないかも知れない、しかしその曲に匹敵するかもしれないレベルの曲だと僕は感じています。
この曲を通じてロックを感じた人間とこの曲を楽しめたらいいなと思いました。